1976-07-13 第77回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第10号
○下浦説明員 これは関係があるわけでございまして、小麦を初めといたしまして穀物の国際価格が非常に高位不安定で推移をしておる、片や日本の食管の売り渡し価格というものはなお三三・四%の逆ざやがあるということでございまして、これに対しまする批判、これは国内でできます米を抑制いたしまして、外国産の穀物に輸入補給金みたいものを出しておるという結果と同じではないかというような御批判もございますので、できるだけこれは
○下浦説明員 これは関係があるわけでございまして、小麦を初めといたしまして穀物の国際価格が非常に高位不安定で推移をしておる、片や日本の食管の売り渡し価格というものはなお三三・四%の逆ざやがあるということでございまして、これに対しまする批判、これは国内でできます米を抑制いたしまして、外国産の穀物に輸入補給金みたいものを出しておるという結果と同じではないかというような御批判もございますので、できるだけこれは
食糧が不足しておった昭和二十五年から二十九年当時の輸入食糧価格調整補給金というものを調べてみましたところが、昭和二十五年には当時の金にして八十五億五千六十九万八千円、二十六年は二百三十六億三千五百二十四万六千円、二十七年は二百九十四億三千四百八万円、二十八年は三百三十一億一千六百六十八万一千円、二十九年度といえども九十八億八千百八十五万三千円という、当時の貨幣価値としては膨大な、食糧が足らなくて輸入補給金
当時為替レートがございませんので、輸入補給金としてどれだけのものが使われたか、また輸出補給金にどれだけのものが使われたか、そういうことにつきましては、作業といたしまして一応いたしてはおりますけれども、これは非常に、申し上げるほどのものじゃございませんので、正確にお答えしかねる次第でございます。
○成瀬幡治君 では、こういうことをお聞きしたいと思いますが、私のほうでほんとうに聞きたいのは、輸入補給金あるいは輸出補給金にどれだけ使ったかということをお聞きしたいわけです。これはわかりますか。それはもちろん二十四年三月までの話です。
○成瀬幡治君 僕が指摘しておるのは、どうも、いろいろな援助があったんだ、しかし確かに輸入した物資が、日本のマル公価格よりも高く売ったんだから、そういう輸入補給金を使われたんだということは了承しているんで、また逆にいえば、輸出補給金を使われたんだ。だけれども、どうもあなたのような数字では、いろいろごまかしておるような気がしてしようがない。
○大矢正君 輸入補給金ですらわからないのに、輸出補給金のわかるはずがないでしょう。そういう金が出ているとか出ていないとか、それは理論的にいえば、あなたの言うことは、為替レートがないの、だからという理屈は成り立つ。あなたの言う理屈は、為替レートがないのだから換算のしようがないから、幾らで買って幾らで売ったということはわからないかもしれない。
○永末英一君 今までの御説明を伺っておりますと、結局産投会計に見返資金特別会計から移ったときの資産三千六十五億円、ドル相当額八億ドル程度のものが、いわゆる援助物資を国民に払い下げたものと、それから価格差輸入補給金で出したものとの合算額で、それ以上のものはあるかもしれぬがわからぬ、こういうお話ですか。
それが見返資金なりあるいは外為に行く場合に、正確な数字やあるいは資料を引き継がれておるならば、そういうような間違いというものはなくて、計算をすればすぐ出てくることですから、レートはそのときに幾らになったのだ、そのときには輸入補給金は幾ら出しておる、輸出補給金は幾ら出したのだということは明確に行なわれておったのじゃないだろうか。
そういたしますと、何が輸入補給金かということを、若干資料を出してお話ししようかと思っておりますけれども、あくまでもこれは推定でございます。それで、たとえばある物資が国内で千円で売れておった。しかし、これは生活必需品だからむしろ安くという感じで千円で売れておった。
○成瀬幡治君 これはどうしてこういうことを言っておるかというと、一つの食い違いの問題もさることながら、一体輸入補給金をどのくらい使ったか、輸出補給金をどのくらい使ったのかということがわかりますか。
続いて、全部の品目に価格差補給金はどういうふうに使ったかということは言わないのだから、あなたのほうで適当に取捨して、少なくとも十品目ぐらいは、この問題についてはこれだけの単価で輸入しているから、それに対してこれだけの輸入補給金を使った、輸出の場合にはこれだけ使ったのだというような、品目について、たとえば小麦が一石当たりで幾らで総額が幾らになったのだというようなことが、その資料がほしいと、こう言っているのだけれども
これだけ高いものを買ったんだが国内へこれだけ安く売ったのだ、これだけやったのだと、それを品目別に全部もらいたいと思うけれども、そうもいかぬと思うから、私は、あなたのほうでお気づきになった、こういう品目を出したらいいだろうということで十ぐらい品目を引き抜いて、当時の価格でこうなっておったからこういうふうに輸入補給金を使ったと、また輸出補給金はこういうふうに使ったのだと、この資料を出してもらいたい。
大体半分は輸入補給金、輸出補助金に使われた、それはやはり援助の換価物資とそしてわれわれの税金とでまかなわれておったのでございます。二十四年からは援助物資のドルに相当する金額はためおきまして、それが今の日本で換算しますと二千何百億円産投会計に残っておる。それから復金の肩がわりの分も六百五十億円ある。
その御質問の第一点は、アメリカの対日援助は、輸出補助金、輸入補給金に使われているのじゃないか、しかも、それはアメリカが得をして、日本が損をしている、こういうお話ですが、大へんな誤解だと思います。で、私は、特にこの誤解を解いておかなければならぬと思いますので、この沿革をこの際申し上げます。 大体、アメリカからの対日援助は十八億ドルといわれております。
一方、先ほど来申しましたように、円の価値自身が非常に変動をしておるというようなことで、実は幾ら輸出補給金になり、幾ら輸入補給金になったかということは、計算ができないのではないかと考えております。 ただ、個々のものにつきまして例示的に計算をした例はございますが、たとえば、これは三百六十円レートがきまります直前の時期を選びまして、二十四年の二月の小麦について計算をしたわけでございます。
一方、輸入補給金に使われた。先ほど、二十四年二月の小麦の例で申しましたように、一ドル当たり百六十二円程度の価格で国内に売っておるわけであります。三百六十円のレートから考えますと、二百円も国内には安く払い下げをしておるというようなことになりますので、輸出補給金、輸入補給金、両方の作用をしたものだというふうに考えます。
その根源としましては、援助物資の売り上げ代金が操作されたということは御指摘のとおりだと思いますが、これは全部ということではありませんで、輸入補給金の作用をしたのもございます。輸出補給金の作用もしたということもあると存じます。
若干は輸入補給金にも使っておるでありましょうけれども、私の計算では、八割五分から九割はアメリカからたたき買いされた結果である。そうなりますと、消えた十億ドルというものを、日本の金で二百七十三億円、その金によって、すでに私どもは、アメリカの援助物資というものは二回目に払いが済んでおるものと考える。続いて私が今お聞きしておるのが見返資金の問題になるわけです。
一体何億円が輸入補給金になりあるいは輸出補給金になったかということは計算上非常に困難で、できないと思いますけれども、ただ一例として申し上げまして、一ドル三百六十円のレートがきまりました面前の昭和二十四年の二月二十一日の例でございますが、貿易庁が農林省の食糧管理局に売却した小麦、これを幾らで売っておるかと申しますと一石当たり二千二百二十四円二十六銭で売っておるわけでございます。
いかに輸入補給金、あるいは輸出補給金の役割を果たしたといえども、百円の品物を輸出補給金で二百円にしても、それが一ドル六百円なんということだったら何の役にも立ちませんよ。企画庁長官、あなたの方の資料でこうなりましたが、どうでございますか。
私が見返資金特別会計というものを設けましたゆえんのものは、こういうふうに、十億ドル近いものが日本に援助物資として来て、これが輸出補助金、輸入補給金とし、日本の税金も加えて、どこへ行ったやらわからぬような場合におきまして、将来援助物資を返してくれということになったときはこれは大へんだと思いましたから、私は見返資金というものを置きまして、アメリカの援助物資は昭和二十四年四月以降はこれだけのものが来ました
当時大蔵大臣といたしまして連合軍司令部のその衝の人と当たりましたとき、従来、多額の援助が、輸出補助金あるいは輸入補給金として、やみからやみというのは言葉が悪うございますが、それがどこへ行ったやらわからぬようになっておる、こういうことは経済の上から言ってもよくない、従って、対日援助見返資金というものでアメリカの援助物資に相当する金額をため置いて、――援助物資を国民に売る場合におきましては国民から相当な
輸入補給金、輸出補助金二千二十億円を組みまして、そうしてその後、私は、たとえば銅にいたしましても、肥料にいたしましても、鉄にいたしましても、補給金をだんだん値を上げていきました。その二千二十億円組んだのが、決算では千六、七百億円で済んだと思います。翌二十五年には補給金は七百億円で済んだ。二十六年にほとんどなくなった。
その金がどういうふうに使われたかと申しますると、先ほど申し上げましたように、複数為替レートで、そうして輸出補助金とか輸入補給金、こちらへ、安定帯物資というものがございまして、価格も非常に押えておった。外国から物を入れましても、安く売ったために、その補助金に輸入物資の代金が充てられたのです。
その金は貿易資金特別会計あるいはその後の貿易特別会計におきましては、輸出補助金あるいは輸入補給金として使用せられたのでございます。従いまして、国民には、どれだけの品物が来て、そして国民にそれを売って、売った代金がどれだけ輸入補給金、輸出補助金に使われたかということははっきりいたしておりません。
主食のように輸入価格より割安に払い下げるものについては国内払い下げ代金では不足だから、援助資金では不足だから、国民の税金である一般会計から輸入補給金を出して差額を埋めておった。従って割安になった分を国民は税金の形で支払っているわけなのです。そこでこういうことも考えられるわけなのです。
そのほかに税金である一般会計から繰り入れられた輸入補給金も構成要素になっておりますね。そうじゃないですか。これから見て見返り資金の返済財源については、やはり国民が二重払いをしているという問題は解決がついていないのじゃないですか。
だから輸出補給金で払い、輸入補給金で払ったその金額は、全部どこに行っているかといえば、それはあげてアメリカの業者に対する利潤じゃありませんか。だからそういう意味で、私が総理に申し上げておきたいところはこういう当時の価格です。しかもあなたの今のお話しのように、輸入の価格差補給金、これは明らかにアメリカの業者に対しての不当な利潤の支払いだと私は思う。
また先ほど総理からお話しのように輸入補給金として一般会計から入れている。国民は払ったわけです。そこで、先ほどあなたの答弁のように、この点についてはあなたの方では、まず私企業に関しては一つ措置をする、あるいは公企業その他国債償還に充てた分については別途措置をする。
当時輸出補助金、輸入補給金あるいは物資統制、価格統制によりまする補助金を昭和二十四年には二千二十億円を予算に計上いたしております。七千億円余りのうちで補助金を計二千二十億円出しておる。こういうことではいけないというので、一応計上いたしまして、二十五、六年の間に国内のいわゆる価格の統制を全部やめて、今米だけでございます。
米の値を上げて輸入補給金の要らぬようにしなければいかぬというので、あの当時は私どもは米の値上げ論者だった。これがいわゆる国際価格にさや寄せしろというあれであったので、現に今、日本の農産物を国際価格にさや寄せしろという政策はとっておりません。